【偉人伝】スターバックス創設者「ハワード・シュルツ」とは何者か。
-世界1コーヒーを愛した男-
「STARBUCKS COFFEE」誰もが知る、あの有名なコーヒーチェーン店です。私スターバックスでアルバイトをしているのでとてもお世話になっています。現在では、老若男女に愛される世界で1番のカフェにまでなりました。フラペチーノが有名なスターバックスですが元を辿ればコーヒー専門店です。今回は、そんな世界的に有名なスターバックスの創設者について紹介していきます。
スターバックスのことを知れば、より愛着感も湧きますし、これからスタバを訪れた際はスターバックスに関しての価値観も変わってくるかも知れないですね!
- 大学生ブロガー
(関西学院大学国際学部1回生) - ブログ歴1年目
- 中、高で生徒会長
- フィンランドに1年留学
- スタバ店員、家庭教師、テニスコーチ
スターバックスの創設者「ハワード・シュルツ」
みなさん、スターバックスは誰が創設したか知っていますか?あまり馴染みのない人かも知れませんが、数少ないアメリカンドリームを掴んだ人物です。
それは、
ハワード・シュルツ
それでは、彼の経歴について見て行きましょう!
日々、貧しい生活
シュルツが生まれたのは、アメリカのニューヨーク・ブルックリン。彼がそだタノは低所得者アパートでかなり貧しい暮らしを強いられていました。父は、第二次世界大戦の退役軍人であり、トラックやタクシーの運転手をしていましたが、それでも生活は切羽詰まっている状況で、シュルツ自身も新聞配達をしていました。
シュルツが7歳の頃、悲劇が起こります。彼の父が仕事中に事故に遭い、命に別状はなかったものの、骨折してしまいしばらく働けなくなってしまったのです。働けなくなっても保険があるから大丈夫だと思うかも知れませんが、働けなくなったことを理由に健康保険の権利を剥奪されてしまったのです。働くことができず、社会から切り離され、荒んでしまった父をみながら、シュルツは色々なアルバイトをして家計を支えていました。
勉強の方はどうだったのでしょうか?
彼は、成績が優秀であったため、奨学金で大学に行くことができました。
ここで名言
「不運が諦めから生じることは間違いないが、幸運はそれを目指したものが掴むのだ。」
コーヒーとの出会い
彼は、大学卒業後、印刷機器を製造、販売する会社「ゼロックス社で営業をしたり、家庭用品の製造会社で働いたりしていました。
本人曰く、当時、まだ自分の本当にしたいことを見つけられていなかったそうです。
ある日、彼は家庭用品会社の顧客にあるコーヒー店があったので仕事のために訪れました。
そのコーヒー店こそ、「スターバックス」です。当時のスターバックスはカフェではなく、コーヒー豆や紅茶を販売していたのです。何よりスターバックスを気に入ったシュルツは、即決でスタバに転職したのでした。
行動力には感心しますね!
彼は、もともとマーケティングが得意だったようで、スタバでもその能力を存分に発揮し、マーケティングディレクターという肩書きで活躍したのでした。
ミラノでの運命的な出会い
彼は、出張でイタリアの大都市ミラノに行きました。彼は、ミラノにあるカフェに入店したことが、現在のスターバックスの原型となるのです。それが「エスプレッソ」。アメリカのコーヒーはエスプレッソではなくアメリカン。エスプレッソを飲んだシュルツはあまりの濃さに驚きました。また、店内の雰囲気がまるで家のようで、客も我が家のようにくつろぎ会話を楽しんでいる姿に感銘を受け、ぜひ、アメリカでもこのような店を出したいと会社に提案しますが、却下され、シュルツは会社をやめることに
自身でカフェを企業
シュルツは、自分でカフェ「イル・ジョルナーレ」を始めたのです。イタリアの雰囲気を少しでも出そうと、店内ではオペラを流したり、エスプレッソやジェラートの提供を始めたのです。これが功を奏し、大人気カフェへと成長します。
そして、遂に、、、
カフェ経営で集めた資本金380万ドルでスターバックスを買収したのです。
しかも、なんと会社をやめてから買収するまでたったの2年しか経っていないのです。恐るべき経営術ですね。
ここで名言!
「本当に作りたかったのは、居心地の良い場所です。深煎りコーヒーだけではありません。」
サードプレイスを目指して
スターバックスの買収に成功したシュルツは、どんどん自分の理想とするカフェづくりを進めて行きます。
そこで、彼がキーワードとしていたのは「サードプレイス」でした。サードプレイスとは、自分の家をファーストプレイス、職場、学校をセカンドプレイスと考えた時に、自宅のようにゆったりとくつろげる空間を指します。シュルツはスターバックスをそんな「サードプレイス」にしようと試みていたのです。
- 滞在時間に制限を求めない
- 全てのお客様に満足してもらう環境づくり
- サードプレイスとして選択してもらえるよう努力し続ける
しかし、世間では少しでも店の回転率を上げて、客の滞在時間を短くした方がいいと考えられていた時代だったので、シュルツの考え方は時代と逆行する形となりました。
ここで名言!
「私たちは空腹を満たす仕事をしているのではない。魂を満たす仕事をしているのだ。」
スタバが迎えた低迷期
みなさんはご存知でしょうか?
2000年から2008年ごろ、スタバの業績がどんどん下がっていったのです。この原因として、無理矢理店舗を増やしたことで味やサービスが低下したこと、その場凌ぎでスターバックスには関係のない商品を売ったことです。
この時期、スターバックスのCEOはシュルツではありませんでした。いよいよ赤字を迎えたスターバックスに痺れを切らしたシュルツはスターバックスのCEOに返り咲きます。
まずシュルツが行ったことは、7100もの店舗を閉店させたことでした。もう一度サービスや味のクオリティを改善させるために原点に立ち返る必要があるとシュルツは考えたのでしょう。この結果、たったの3年で売上過去最高の120億ドルに達したのです。
そして、今やスターバックスは世界77カ国に3万店舗もあるのです。
サードプレイスはお客様のためだけではない
上記で説明したように、スターバックスはなにより「サードプレイス」を大事にしています。しかし、これはお客様だけに感じてもらうわけではありません。あるばいとや正社員にも「サードプレイス」と思ってもらう必要があるのです。例えば、健康保険が適用されたり、大学の受講料を負担したり福利厚生が充実しています。
なぜ、ここまで福利厚生が充実しているのかというと、シュルツの父の影響です。彼の父は、仕事中の事故で全てを失ってしまいました。そこで、シュルツは、「父が働くことのできなかった会社」づくりを目指しているのです。もし、スターバックスのような会社で働けていたら違う未来があったのかも知れないですよね。
ここで名言!
「私が作りたかったのは、自分の父親が働くチャンスを生涯得られなかったような会社です。従業員が大切にされ、かつ尊敬され出身地、肌の色、教育のレベルを問わない会社です。」
「人生を他人のせいにして自分自身を憐れむこともできる。そして自分自身の責任として背負うこともできる。」